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29)三省(論語・学而編)
1990年前後、反省猿がテレビのバラエティ番組によく登場していました。村崎太郎氏の膝の上に日本猿の「次郎」が手をつく「反省のポーズ」は胃腸薬のCMにも採用されました。「反省だけなら猿でもできる」と言われたものですが、当然のことながら猿は反省しているのではなく反省のポーズを芸として仕込まれて表現していたにすぎません。しかし、不祥事が発覚して責任者が謝罪会見に登場すると「反省だけなら猿でもできる」と揶揄されたものです。
近年、原子力、医療、食品など様々な分野において発生した事故が大きな社会問題になっています。技術的に未知なものであれば止むを得ない面もありますが、これらの事故や品質トラブルの中には、不注意や、ポカミスのようなものだけではなく、明らかにモラル(道徳)の欠如と思われる人の行動による犯罪若しくは犯罪まがいのものが含まれています。
このような事故・品質トラブルの未然防止や品質の向上は「人質(介在する人間の質)」の向上無くして実現できないと考えます。「人質」は究極的にはその人の倫理観や道徳観であり、各人の自覚に待つほかないのですが、「人質」の向上には安心して生きていける環境が必要になると考えます。
孔子は「仁」を最高の道徳と考えていますが、論語の中では明確に定義されていないようです。広辞苑によると、仁とは「いつくしみ。思いやり。特に、孔子が提唱した道徳観念。礼に基づく自己抑制と他者への思いやり。忠と恕の両面をもつ。以来、儒家の道徳思想の中心に据えられ、宋学では仁を天道の発現とみなし、一切の諸徳を統べる主徳とした。封建時代には、上下の秩序を支える人間の自然的本性とされたが、近代、特に中国では、万人の平等を実現する相互的な倫理とみなされるようになった。」とあります。
孔子の教義を後世に伝えた第一人者といわれる孔子の門人の曾子は、「われ日にわが身を三省す。」と言っています。
曾 子 曰、
「 吾 日 三二省 吾 身一。
為レ人 謀 而 不レ忠 乎。与二朋 友一交 而 不レ信 乎。伝レ不レ習 乎。」
(論語・学而編)
曾子曰く、
「吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝ふるか。」と。
(出典:わかりやすい論語・孟子(鎌田正))
三省の三は多くの意であり、例えば、曾子は「人のため何かをしようとしたとき、だまして、真心(忠)を尽くさないことがなかったか、 友達との交際において、嘘をつかなかった(信)か、
十分に習熟しないまま人に教えはしなかったか。」など、毎日、自分の行ったことについて何度も反省すると言っています。
ものづくりの現場では事故や品質トラブルが数多く発生しています。これらに直面した場合には、嘘をついたり、隠したり、辻褄合わせに走ることなく、適切に対応しなければなりません。ゆめゆめ、言葉を飾って巧みに言ったり、相手の気に入るように飾ることがあってはなりません。為すべきは、真実の追求であり、失敗を繰り返さないための方策を考えることなのです。辻褄合わせに費やす労力は再発防止に向けなければなりません。
<参考>
広辞苑によると、 倫理とは「@人倫のみち。実際道徳の規範となる原理。道徳。A倫理学の略。」、道徳とは
「@人のふみ行うべき道。ある社会で、その成員の社会に対する、或いは成員相互間の行為の善悪を判断する基準
として、一般に承認されている規範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものでなく、個人の内面的な原理。
今日では、自然や文化財や技術品など、事物に対する人間の在るべき態度もこれに含まれる。A老子の説いた恬淡
虚無の学。もっぱら道と徳とを説くからいう。B小・中学校における指導の領域の一つ。」と記されています。
論語は「学而」から「堯曰」までの全20編で構成されています。孔子と彼の高弟の言行を弟子達が記録した書
物で、512の文章からなっています。儒教における四書(『論語』『孟子』『大学』『中庸』)の一つです。二千数
百年前に東洋に現れた偉大な人物、孔子の言行を集めた『論語」は現代を生きる我々が読み返すべき良書の一つで
はないでしょうか。
当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。 (2014.5.15)